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November 2009

聖域無き事業仕分け

レンポー「御料車はヒュンダイにします。天皇陛下の外遊の際はHISでエコノミーのチケットを買っていただけます。私はファーストクラスで行きますけど。」


こういうことをいっているようなもの。

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たばこ税増税 ~二律背反

私はタバコを吸わない。そばで吸われるのも嫌いだ。健康を気にしているのではない。耐えられないのだ。
地方に行くと分煙が進んでおらず辛い思いをする。先日も静岡市でラーメン屋に入ったら紫煙が漂ってきたので席を移ったら今度はそっちでも喫煙が始まった。不快さを示すと逆に嫌な顔をされる。

たばこ税を上げるのは賛成だが、税収増につながるのだろうか。誰でも思うことだ。試算はあるがどうせ都合のいいように作り上げるだけだ。試算とか予測とかいうものは所詮そんなものだ。

たばこ農家はどうなるのだろう。過酷な労働に見合わなくなってやめてしまう農家が増えるだろう。

民主党のやろうとしていることは一部の人を優遇することだ。それによって支持を保とうというのだが、選挙のために政策を行うのではないことを忘れているのではないか。
喫煙者は悪者だから税金を博奕みたいな増税をしても輿論の趨勢は変わらないというのは果たして成功するのだろうか。

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公務員賃下げでデフレスパイラルへ突入

人事院勧告にもとづく公務員の賃下げは過去にないほど大幅なものである。しかも冬のボーナスと重なる、ダブルパンチだ。そして民主党はさらなる賃下げをもくろんでいる。

公務員の賃下げは一般企業とことなりその下げ幅が360万公務員とみなし公務員ほぼ同じ率で、しかも公開されている。

このインパクトは大きい。
公務員は他に収入の道がないし、ここ十年は増えないまでもこれまで比較的安定した状況にあったから心理的な衝撃は大きい。賃下げはそのまま消費抑制につながる。歳末商戦に影響が出るのは避けられないし、長期的に見れば将来を見越して消費を押さえ貯蓄に回すようになるだろう。
公共事業の「見直し」で地方経済がどん底に突き落とされようという現在、公務員の購買意欲が減退すれば、ますます消費が鈍る。

公務員の賃下げは政治家の人気取りの道具にされている。それがどのような事態を招くかマスコミは報道してこなかったし、一地方でのことであったからその弊は明らかにされてこなかった。
しかし、この年末はそうはいくまい。後世の歴史家はその失政をデフレスパイラルの引き金となったと記述することだろう。

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映画「ここに泉あり」~無邪気な資本主義の時代~

群馬交響楽団の前身高崎フィル・ハーモニー交響楽団草創期をモデルに描いた作品である。戦後のまだ貧しい時代、高崎フィルは、群馬県内の小学校、中学校をまわって「移動音楽教室」で演奏し、音楽の美しさ、音楽の歓びを伝えた。
多くの人の胸を打った感動作...というのが一般的なとらえられ方だと思う。

私自身オーケストラの創設に立ち会ったことがある。多くの困難を克服したことには敬意を表する。だが、本当に生活を豊かにしたのだろうか。

技量が足りず放逐されていった人たちもいた。
「私がコントラバスを弾いてはいけないのか」
プロ化を目指す以上、それは仕方がないだろう。
「クラッシック音楽は限られた天才だけの物だ」ある音楽家がこう言った。たしかにそのとおりだと思う。高度に発達したクラッシック音楽は、演奏することはもとより、聴く者にも人を選ぶ。そういう音楽なのだ。
クラッシック音楽は、能力のない者がやってはいけない、入り込んではいけない聖域で、有象無象はありがたく聴いていればいいのだ。

山の分教所の子どもたちと「赤とんぼ」を合唱するシーンで指揮者が言ったことば。「初めて音楽を聞く方々...」驚くべきことばだ。そんな人間がいるのだろうか。自分たちがやっているものだけが音楽の名に値するとでも言うのだろうか。
「炭焼きや木こりで一生を過ごし、生のオーケストラを聞くことは二度と無い...」驚くべきことばだ。炭焼きや木こりが非文化的だと言うのだろうか。

優れた音楽を供給する側と、それにお金を払って享受するという「分業」の確立は、効率性の点ではきわめて自然な成り行きだ。そして、高く買ってもらうために競争が生じる。競争自体は悪いことではないが、競争には勝者と敗者が生まれる。群馬交響楽団もウイーン・フィルと同じ土俵で勝負するのである。放逐された当の本人も放逐される世界なのだ。

実は「分業」は日本では既に確立していた。聴いてもらえないドサ回りの演奏活動は、単純に彼らへの評価であったのだ。勝手に自分たちが「芸術」と思い込んでいる思い上がりに率直にNOを突きつけたということだ。クラッシック音楽の普及、文化的水準云々とは全く無関係だ。文化的社会の建設など御大層な理念などお節介にしかすぎない。

分業は効率的であるかもしれないが、それぞれが無関係な赤の他人になってしまう。それでもこのオーケストラが成長し今でも活動しているのはすごいことであり、少なくとも現時点では希有な成功例であると思う。

しかし、それが本当にいいことなのだろうか。
音楽はその場限りのものだ。あの人が、あそこで演奏したものだ。時と空間を音を媒介に誰かと共有するのだ。金以外に無関係な赤の他人同士がそう簡単に場を共有できるのか。極論すれば、興行的な成功とは単なる経済活動にすぎない。
「下手の横好き」な素人を否定し、音楽を鑑賞物として売買することが進み、音楽は我々の生活から遠ざかっていった。

しかし、それは日本の資本主義社会形成の過程での幸せな一時期であったとも言える。プリミティブな資本主義社会であったからこそ、このような見ようによっては共産主義的イデオロギーのプロパガンダにもとれる映画が素直に美談として成り立つのである。

そういった意味で、「ここに泉あり」は日本の資本主義社会形成の一断面であり、その明暗と無邪気な理想主義をこれまた無邪気に描いた作品だと言えるだろう。

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金正日にノーベル平和賞を

オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したそうだ。まだ何もやっていないのに「何故だ」という声が出ているようだが、当然の反応だ。

核廃絶を実行するよう縛りをかけたとか、アメリカの軍事行動を抑えるためだとかいろいろ言われているが、そんな政治的意図で授与されるのなら、是非北朝鮮の金正日にノーベル平和賞をやってほしい。

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