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August 2009

タレント走らせてどうなる~24時間テレビ~

そもそも24時間テレビ自体がくだらない。チャリティやるんだったら、その時間TV放送をやめてういたお金を寄付すればいい。

この番組だけではないが、タレントを長距離走らせる企画がよくある。全く無意味だ。

安易に感動を作り出そうとしているのではないのか?

たしかに100km以上走るのは大変なことだ。その半分でさえ大変だ。タレントの根性には敬服する。
だが、しかし、それ自体意味はない。見る側も徒に感動してはいけない。結果には感心しても、そもそもの意味を考えると、いかに安易なパフォーマンスだと言うことが分かるはずだ。

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民主大勝~公務員の逆襲の始まり~

言うまでもなく民主の勝利は、自民党政権へのNOであり民主党への期待である。期待であるから、それが裏切られれば国民は「ウソつき」の大合唱になる。

おそらく4年は持たないだろう。かつてのマドンナ旋風みたいに消えていく者が多いだろう。

これは困ったことだ。日本を担えるような政治家を育てなければ、日本の将来は危うい。選挙にかつためだけではなく、有能な政治家を育てることを各党とも考えてほしいものだ。

徹底的に悪者にされた霞ヶ関官僚だが、彼らの能力を見くびってはいけない。都道府県庁レベルの地方の役人も同様だ。これから公務員の逆襲が始まるだろう。

例えば、天下りをやめさせたら各省庁の人件費はふくらむ。数字だけ取りあげられて格好の攻撃材料にされる。財布を渡さなくなるので、財源の裏付けを失う。
長期的には人材の流出が続き、行政機能が低下する。もともと民間に比べて給与が低い上に、給与カットを公言されては組織を維持するためには、そういうことを言い出すやつを葬るしか方法はない。

民主党には霞ヶ関からスパイが送り込まれているだろう。これからの攻防が見物だ。

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独裁者はなぜ学者が嫌いなのか? ~大阪府立大の悲劇~

秦の始皇帝、毛沢東、石原東京都知事、橋下大阪府知事。これらに共通するのは何か?

学者を葬り去ることに精力を傾けた(傾けている)。

政治家にとって学者は、役に立たない屁理屈をこねているだけの非生産的なやつらと見える。逆に、学者にとって政治家は、目立ちたがり屋の軽佻浮薄なやつらに見える。
もちろん政治家と言っても学者と言っても様々で、政治家っぽい学者もいれば、学者っぽい政治家もいる。だが、上記の四人は典型的な政治家のタイプだろう。結果から推して。

石原都知事は「フランス語は数を数えれない」などと言って、失笑を通り越して訴訟までいってしまったが、当人は全く平気だろう。石原都知事にとって、真実や真理がどうなのかよりも、その発言がどういう効果をもたらすのかの方が重要なのだ。ちょうど中国が所謂「南京大屠殺」が真実であるのかどうかよりも、それによっていかに自国を有利に導けるのかが重要なのと同じだ。

そして都立大学を解体し、長年培ってきた多くの学統が消えた。

今度は大阪府立大が同様の悲劇に見舞われようとしている。

大阪の場合はもっとハッキリしている。目立ちたがり屋の知事が「銭のため」を錦の御旗にして喝采を得ようとしている。しかも、そこそこの大学を出ている者にとって積年のルサンチマンをはらす絶好の機会であり、屁理屈屋に一泡吹かせて溜飲を下げたいのだろう。
東京や大阪のような大都市では大学もたくさんあるから公立大学の存在意義は比較的小さいのかも知れない。だから、自分の人気には関係ない。ごく少数の現役・OBだけだ。
しかし根底にあるのは、真実や真理の探究などというお題目がちゃんちゃらおかしく、深い観察や理解、理論の構築など直接実利をもたらさないは大して価値のあるものだと思っていないからだろう。仮に、ノーベル賞受賞者をたたえたとしても受賞したことをたたえるだけだろう。この傾向は、学力テストの件を見ても明らかだ。
(ちなみに最近こういう輩に人気が集まっている。困ったものだ。)

大阪府民の悪ふざけに付き合わされた、大阪府立大学の皆さんが気の毒だが、その悪ふざけのために将来の日本を危うくする一因を作り出した選挙民はそろそろ目を覚ましてほしい。

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民主の財源は五百円玉貯金 政権は何ヶ月持つか

民主が政権を取るのは確実視されている。ただ、マスコミによる世論調査はあてにならない。それにあまりに民主有利と報道されるとそれは民主にプラスにもマイナスにも働く。予断を許さないが、たぶん所謂「バランス感覚」が働いてブレーキがかかるだろう。

民主が信頼を得ているわけではなく、自民がそっぽを向かれているだけだから、「一回やらせてみたら」くらいの軽い気持ちで民主に投票するのが大方の所だろう。だから、公約が実施に移されなければ直ちに支持率大暴落になるだろう。

民主が政権を取ったとして、一番危ないのはインフルエンザの大流行だろう。おそらくちゃんとした対応は出来ないだろう。輿論の猛烈な批判と社会の大混乱によって政権も危うくなる。もちろん、流行しないことを望むが。

外交・防衛なども不安材料ばかりだ。北朝鮮政策はいうまでもなく、中国にも腰砕けだ。一気に国際的信用を失うだろう。

民主党が選挙のためにぶち上げた「子供手当」「高速道路無料化」などもあぶない。単純に財源がない。無駄づかいをなくすというが、そこでどれだけ捻出できるというのか?全く未知数ではないか。たとえて言えば五百円玉貯金みたいなもので、ずっしり重いからかなりの金額が入っているように思うが実際あけてみたら大したことなかったということになって当てが外れたということになりかねない。

フランスは直接給付を含めた手厚い子育て支援があるというが、消費税は約19%だ。

無駄を省くのは大変結構だ。自民がやれなかったことをやれると期待する。しかし、大盤振る舞いのツケをどうするのかは全く未知数だ。おそらく確保できないだろう。

民主が政権を取ったとして、さて一体どれだけ持つか。

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お値段以上・・・は無い

何でも安ければいい時代だ。

ユ・・・、ニ・・。かなり客が入っているようだ。
試しにのぞいてみた。

おもしろいと思った。色とりどりのいろいろな物が広いフロアにたくさん並べられている。
しかし買う物は無かった。

安かろう悪かろうとは言わない。値段相応だ。

何に金を使うかは人それぞれだ。ユ・・・、ニ・・で買う人をどうこう言うつもりはないが、その気は知れない。生活に対する価値意識は違うと思う。ユ・・・、ニ・・で満足できる人はそれでいい。

しかし、安ければいいという消費行動は日本の将来にとっていいことなのだろうか。使うべき所には、たとえ高くとも金を使わなくてはならないのではないか。そうでなければ我々は金の奴隷から抜け出せないし、この不況からも抜け出すことはできない。

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ベルリン世界陸上は日本を勇気づけた

ボルトという電池みたいなすごい選手の活躍はすごかった。しかし、それ以上に日本選手の姿に頭の下がる思いのする大会であった。

日本人は短距離に向かないようだが、その中でリレーで4着をとったのは日本社会が再浮上する上で必要なことを教えてくれた気がした。もちろん個々の選手の能力もあるが、チームとしての連携が結果を出した。いかにしてロスを少なくするか。いわゆる「人の和」の力だった。古いフレーズになってしまったが、決して陳腐なものではないことを思い起こされた。

そして、もう一つ感心したことがあった。
男子マラソンで、日本人選手はゴールした後、ゴールに向かって一礼していた。
日本人はアメリカ人の真似をして行儀が悪くなった。日本人の美徳も虚礼として退けることが金儲けの道具になってきたが、そういう人たちは彼らの行為を見て自らを恥じるべきだ。

決して奢らず謙虚で、自らの位置をわきまえ、なすべき事は何かを自覚し、フェアプレーに徹する姿は、忘れつつある日本人の美徳を見るようだった。

国際競争の時代だからこそ、日本人がずっと培ってきた美風を自覚し世界と渡り合っていくべきだという思いを強くさせられた。
女子マラソンで、中国の選手が競争相手の足下に何度もボトルなどを投げつけていた。そうした中でやっていくのが国際試合なのだろう。しかし、日本人はそんなことにも惑わされず、フェアプレーを貫いていた。「卑怯な手を使って勝つよりも正々堂々戦って負ける方が潔い」という思いがやはり日本人の中に生き続けていたのだろう。

人を出し抜くことばかりに奔走している日本社会に反省を促す大会であったと思う。

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ピロリ菌除菌を勧められた人に

私はあることがきっかけで十二指腸潰瘍になり、その後何度も再発した。

ピロリ菌保菌者であることが分かり保険適用の三剤で除菌を行ったが失敗した。その直後、広島大学の研究者が保険適用三剤の成功率は従来言われていた確率よりずっと低いと発表した。

耐性ができている可能性もあると言われた。

何度も再発した。慣れてはきたが胃カメラはやっぱり嫌なものだ。
再除菌を勧められたこともあったが断った。

昨年二度も再発した。やはり再除菌を勧められた。断ろうと思い除菌失敗のことを話したら、Drは私の胃の中にある菌がどの薬に耐性があるかを調べてから行うと言ったので除菌に同意した。

結果は成功だった。

除菌を考えている人には、お金がかかってもちゃんと薬が効くか確かめてくれる医者を選ぶことを薦める。

しかし、それですべてがバラ色になるわけではない。良くも悪くも、長く同居してきたピロリ菌とはそれなりの協調関係があったようだ。もちろん除菌できたことはいいことだが、様々な変調に悩まされることになるのも避けられない。私の場合は、消化不良に悩まされている。従来の半分しか食べられない。体重が増えているのが不思議だ。

消化不良のせいか分からないが、とにかく眠い。仕事に支障が出るほどだ。

逆流性食道炎の症状だそうだ。よくあることらしい。

大ジョッキで豪快に飲みながら焼き肉を食べる姿を見るとうらやましくなる。

除菌後まだ4ヶ月。半年過ぎるとよくなると言われている。そうなってほしい。

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「イムジン河」と日本人

歌は時間という「彫琢」を経ないと、時代という「文脈」からは自立できないものらしい。

「イムジン河」がどのようなものであるかは検索すればいくらでも出てくるからあえて書かないが、単純に言えば北朝鮮のプロパガンダだったのを、日本人がその内容を隠して詩を付けたものだ。

大和系日本人(?)にとって、負い目がある朝鮮半島のことなので無邪気にただ美しいとは言えそうもない。まだまだ複雑な思いがあるはずだ。
かつて北朝鮮は、「ポリシー」を持った人たちにとっては「美しい国」だった。逆に韓国は「米帝国主義の傀儡」であった。(TV朝日で久米宏は韓国を南朝鮮と言ったりもした)

こんな中で「イムジン河」は紹介された。

北朝鮮による拉致問題も否定する論調が活発だったが、2002年劇的な展開を見せる。北朝鮮が拉致を認めたのだ。ここで、北朝鮮擁護派は批判にされされ、釈明や自己批判に腐心することになった。しかし、かつての擁護派のマスコミは一転して拉致被害者の側に立つ姿勢をアピールし、かつての過ちを隠蔽する方向で動いた。

北朝鮮に対する見方はがらりと転換した。

歌に罪は無いのかもしれない。しかし、この「イムジン河」は東アジアの歴史の中で様々な文脈を伴って使われてきたのだ。単にきれいだ美しいだけで済ませるにはまだ多くの時間が必要だ。まだ過去のことではないのだ。

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酒井法子が「清純派」?

「のりピー語」とかを言っていた頃から何か陰のある人だと思っていた。「清純派」だとは思わなかった。

芸能人に関心が無いので久しぶりにTVで見たが、30代後半になってより魅力的になったと思った。髪型や服装によるが。目尻のシワも大人の女性の魅力となっていて決して老いとか生活とかを感じさせない。

その元「清純派」がヤクやってらりっている姿を想像するとなんとも不思議な気分だが、裏切られたような気がする人も多いだろう。楽屋裏は見せられたくないが、最近はそれが流行だから堕ちたアイドルを徹底的に貶めるだろう。

逮捕された夫にしても、「清純派」にお似合いとは思えない。その方面の方にしか見えない。

だからといって「清純派」ではないとは言わない。アイドルだからだ。いやアイドルとは文字通りそういうものだ。叶姉妹だって本当に「セレブ」だと思って見ている人はいないだろう。もちろん、パロディーの「セレブ」と違って酒井法子はもっと本物に見えると思う。しかし、アイドルは所詮アイドル。ファンの思いを投影する素材なのだ。

失踪と報道されていた時点で、すぐに証拠隠滅のための逃亡と思った人も多いだろう。マスコミは芸能人をかばうからそんなことは言わないが、多くの人は逃亡だろうと思ったのではないか。

清純派。原節子、松原智恵子あたりか。最近は聞かなくなった。酒井法子が最後の「清純派」アイドルだったかもしれない。時代の終焉はかくのごときか。

生い立ちや境遇に同情すべき点もあるような気がするが、真相は分からない。

おそらく執行猶予がつくだろう。
麻薬・覚醒剤はしっかり捜査して、初犯なら執行猶予が付く。それに対して、痴漢は被害者の証言だけで即有罪、実刑。この差は何だ?
起訴猶予もあり得るようだ。そうなれば逃げ得の前例を作るだろう。

この事件でダイエットのために薬物に手を出す女性が出てこないかが気になる。

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橋下知事は猿回しのサルだった

全国知事会など自治省OB会みたいなものだと思っていたが、最近は芸能人出身者が目立っている。さすがに芸能人だけあって目立つことには長けている。

しかし、ここに来て官僚出身の知事たちにうまく利用されている姿がはっきりしてきた。

そのやり方は巧妙で、実際それと気づかないようにやっている。なるほど、40日もあればいろいろ手があるものだ。
東国原なんかも同様にうまく使われたが芝居が過ぎていた。たけし師匠もほぞをかんでいることだろう。

などと言っても何のことか分からないかもしれない。官僚の意向を世論とするための「迂回路」に使われているということだ。

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地方分権を錦の御旗にするな

全国知事会が政党に地方分権という踏み絵を行った。

地方分権でよくなることは何もないのである...なんてことはない...かどうかわからない...といえるかもしれない・・・
そんなものだ。

しかしよくよく考えておかなければならないことが二つある。

一つは、なぜ急に地方分権が声高に知事の口から出るようになったかということだ。もちろん、報道の量が変わったということもある。だが、お蔵入りになりかけた道州制などを持ち出す裏には、そこに「うまみ」をかぎ取ったからにほかならない。
つまり、誰が得をするかということだ。利権という「うまみ」が最も得られやすいのが道州制だ。
なぜ日本が幕藩体制を捨て中央集権を選び取ったのか。言うまでもなく「黒船」の脅威から身を守るためである。100年以上昔のことであるが、今でも変わりはない。すぐ近くに軍備を拡大し続ける独裁国家が二つもあるではないか。
だから、道州制でも防衛・外交は国が担うことになっている。立法・司法もしかり。ということは、地方分権ではない。

つまり、彼らが言う地方分権とは「金よこせ」ということだ。

「組長」が財布を握ろうが「若頭」が握ろうが、所詮もとは国民の金だ。財布を握るのが誰かではなく、財布を握った人がどんな人かが問題なのだ。

もう一つは、地方分権、道州制を声高に主張している知事の言動を見ていると、権限の委譲によって小さな中央集権を作ろうとしているとしか思えない。市町に対して自分の政策に従わないなら次の選挙では落とすなどと恫喝をしてる人が、地方自治などという発想があるはずがない。

単純に島を広げたいだけだ。

寓話(上記とは関係ない)

「組長、わてに財布あずからせてくれなはれ。」
「そやかて、おまえ若い衆からごつうピンハネしとるそうやないか。」
「・・・には島が大事だす。島の者はみんなわてを支持してはります。この勢いで島を広げます。」

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一青窈 ~詩のない時代~

先ほどTVを見ていたら一青窈が「イムジン河」を歌っていた。

この人が伊藤咲子とか斉藤由貴などと「コラボ」しているのをYouTubeで聞いたことがあるが、ずいぶんこの人は詩を軽く扱っていると思った。良いか悪いかはともかく、伊藤咲子とか斉藤由貴などは比較的詩の世界に入り込んでいるが、この人はフレームに入った世界を31のアイスクリームを食べながら眺めているようだった。

気がつかないうちに世の中からすっかり詩が消え去ってしまった。ことばがその力を失ってしまったと言ってもいい。いや、ことばに対する畏怖や畏敬を失ってしまったと言うべきかもしれない。

政治家は暴力的な物言いをして恥じるところがなく、国民はそれに喝采する。芸能人はただ絶叫するだけだ。流行歌手は手垢の付いたことばを並べるだけだ。

「イムジン河」の世界は祖国が引き裂かれたことだけなのだろうか。

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全国知事会は暴力団か

全国知事会が注目を浴びるようになったのはいいかもしれないが、報道を見ているとまるで暴力団のような圧力団体に成り下がったようだ。

  わいらの要求どないしはったんでっか?

  いつやってくれるんでっか?

  若いモン行かせまっせ。

  言うこときかんのならどないなるかわかってまっか?

マニフェストは選挙民が評価するものだ。知事会みたいな親睦団体が圧力団体に変身するのは民主主義の冒涜だ。
物言うすべを持った人たちが、質問の形をとって恫喝に等しい行為を行い自らの要求を突きつけるのは反則だ。内容の是非ではない、手続きが間違っているのだ。

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「子ども手当」創設なら民主党には投票しない

理由は単純、私が負担を負うからだ。しかも扶養控除は廃止だと。冗談じゃない。それにこんなものはそもそも政策ではない。

ただでさえ、月々の天引きに加え確定申告の時には数十万払っている。扶養控除が無くなれば、さらに数十万円払えと言うことだ。絶対反対。というよりもこの時点で民主に投票しないことを決めた。

子は社会の宝。それは分かる。ちゃんとしつけをしない親には支給しないということにすれば賛成だ。まして、自分の子を児童ポルノに売っている親など論外だ。

児童ポルノのA級戦犯は誰か。ロリコン男だ。所持しているだけで処罰しようというのだから。
もちろん心の中で思っているだけで罪になる筈がない。実際に児童を性的対象にしなければ。妄想だけでは罪にならない。
だとすると子供の人権を無視して金儲けする業者も同罪だ。

しかし、それ以上に罪が重いのは、我が子を商品として差し出す親だ。目をつり上げて児童ポルノ問題を訴えるアクネスチャンなどは、なぜ親の責任を問わない。

民主党の「子ども手当」は、我が子を商品として売り飛ばす親にも平等に支給される。

そういう親は少数だと反論する人がいるかもしれない。もちろんそうだろう。しかし、数が問題なのではない。親であることだけで信頼を置いてはいけないということだ。ただでさえモンスターペアレント大増殖に見るように、権利意識の肥大と社会性の欠如が深刻な事態に陥っているではないか。そこに、国が直接支援をして特権意識を育てるのは国家百年の失策としかいいようがない。

臓器移植法改正案も同じ事が言える。親の判断は正しいという、いわば「性善説」がある。児童ポルノに我が子を差し出す親もいるのに。

別の味方をすれば、政治が教育から手を引くと言うことだ。
親の教育力をそこまで認めるのなら公教育は要らない。

こんなものを政策というのだろうか。

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