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November 2008

ワインに合うつまみ

てのが上に出ていた。

そりゃあ、どんなワインかによって違うだろう

私は焼酎ばかり飲んでいるがワインも好きだ。というより焼酎なんてちっともうまいと思わない。ワインを飲むと焼酎なんてワインと比較するとどうしようもないくらいまずい。
だが焼酎を飲むのは安いし温めて飲める(温めると酔いが早く回るので飲み過ぎない)。しかし、焼酎を飲む理由はそれだけではない。どんな種類の焼酎でもつまみを選ばないからだ。

日本酒はどうも体に合わない。体に合うようなものは滅多に出会わない(出会えないが正確か)。日本酒「通」の酒の蘊蓄も体に合わない。そして日本酒もつまみを選ぶ。ワインと同様酒によって合う合わないがある。

焼酎はネーミングが恥ずかしいものがあるが、どんなつまみにも合う。こういうのは焼酎と日本のビールくらいだろう。

どうでもいいが。

どこかの都知事だったら「そんなバカなこと聞くな」と言うかもしれない。

ワインにしろ日本酒にしろお大尽が楽しむ酒だ。
私のような下卑た人間は安い焼酎で十分。お湯割りかホッピーでたくさん。しかし
Hoppy makes me happy.

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石川遼が史上最年少1億円突破とニュースで見て

すごいな。と思った、高校生なのに。どこの誰だか知らないがNHKのニュースでもやるくらいだからたぶん有名な人なんだろう。天才なんだろう。
スポーツや芸術の天才は年齢など関係ない。アンネ・ゾフィー・ムターは10代でカラヤンと共演している。

しかし、ゴルフってなんであんなに賞金が高額なのかさっぱり理解できない。
そして、ゴルファーってなんであんなに品の悪い格好をしているのか疑問。

かつて岡本ナントカという女子プロゴルファーが取材のカメラを足で蹴っているのを見て、プロスポーツの世界でゴルフは品性のない部類に入るだろうと思った。
それだけではないが、とにかく日本では品のないスポーツだと思っている。

発祥はスコットランドだそうだが、ブリテン島で生まれた文化が日本に来て価値を下げたのはゴルフと競馬だろう。

私はゴルフなど遊園地のパターゴルフしかやったことがない。やろうとも思わない。ゴルフ場のあの緑は不自然に見えてしかたがない。
友人で40代でゴルフにはまった人がいる。台湾で誘われてやってみてゴルフのおもしろさを知ったそうだ。台湾というのが味噌だなと思った。たぶん、ヨーロッパとかでだったら私もやったかも知れない。

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「世界にひとつだけの花」の逆説

歌自体は悪いとは思わないし、歌詞に文句を付ける気はないが、モンスターペアレンツのテーマソングだろうなと思う。

もともと特別なオンリーワン。

そうだろう。全ての人が「特別」で「オンリーワン」なのだ。自分、自分の子供だけが「特別」で「オンリーワン」なのではない。そして、他人から見れば「僕らはどうでもいい有象無象」なのだ。

他人と争う競争の中で、他人と比較される苛烈な評価の中で、我々は何かを見いだしていくのではないだろうか。たぶんこの歌の作詞者はそういう経験に基づいてそのように表現しているのだろう。相田みつおも同じだろう。

歌の最初に「花屋の店先に」とある。
そうか。この「世界にひとつだけの花」とは、既に淘汰を受けた花なのだ。つまり、花屋の店先に並ぶような花はそれなりに選りすぐられている。だから、人間も同様に、ある一定水準に達していなければ個性なんて無視されるよということだ。「もともと特別なオンリーワン」であるのは、淘汰を受けた人たちのことで、あなたみたいな有象無象のことではない。

なるほど。

我々はアプリオリには何者でもないのだ。タモリ流に言えば「この一般人」なのだ。

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小泉毅容疑者に裏切られた人々

誰がとは言わないが、政治の時代のノスタルジーをこの事件に「期待」していた人々は肩すかしをくらっているのではないか。小泉毅容疑者の出頭でがっかりしているだろう。

背後に政治的な組織が存在していた。組織的犯罪であって個人の鬱憤晴らしではない。最近の事件とは違う。
そんな「期待」があっただろう。

しかし、現状では加藤@秋葉原とたいして違わないようだ。

人間は主義主張によって動かされると信仰している人々には今回の事件は、いわば「福音」であっただろう。自分の信念を保証してくれるからだ。こういう人たちは報道を見るたびにがっかりしているだろう。

逆にある人々は納得しただろう。ただきれただけ。

どちらが解釈しやすいか。それはたぶん世代によるだろう。

この事件では「テロ」ということばが見られた。これは解釈ではなく期待だった。

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立川ラーメンスクエア 麺行使 伊駄天

俺とカッパが退店してからあまり足が向かなくなった。
久しぶりに「にゃみ」にでも寄ろうかと思ったら既に退店していた。

次はどんな店が入るのだろうと楽しみにしていた。

「にゃみ」の後には「麺行使 伊駄天」が開店していた。
何だ?麺行使とは。しかもメニューが多くてどれを選んだらいいのか分からない。とりあえず、表の看板に出ていたもの(フレーバー叉焼醤油?)を頼んだ。

これはうまい。

肉そば、醤油、塩を食べた。どれもうまいが、肉そばが一番気に入っている。
スープに合わせて麺の太さを変えているが太いほうがうまい。いい意味でぼそぼそと歯ごたえがよく、のどごしがいい。
スープは化学調味料を使っていないそうだが、実際あのねっとり下に残るものがない。

こういうのを考え出す能力はどこから生まれたのだろう。完全にオリジナルなら天才だ。

ただ、こういう生醤油の渋さを感じるスープとこういう歯ごたえの麺はどこかで食べた記憶がある。
静岡市に「桃花苑?」という中華料理店がある。ここのスープの印象と似ている。関係があるのかどうかは知らないが、本店が静岡なので何らかの共通点があっても不思議はない。

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立ち飲み放浪記 2 ~新宿~

麻生総理がホテルのバーで飲んでいたとか新聞が騒いでいたが、だからどうなんだ。庶民的ではないということか?そんなことは最初から分かっているし、庶民的であることがいいことか?
そもそも庶民的とは何だ。そんなものがあるのか。ありもしないものをでっち上げても「大衆」は見向きもしない。

立ち飲み屋は庶民的か?答えは単純、私が行けば庶民的、麻生総理が行けば庶民的ではない。それはホテルのバーについても同じだ。金額だとかメンバーシップだとかは関係ない。

私の立ち飲みは新宿から始まった。

新宿が庶民的な街かどうかは知らないが、風情のある店が多い。ただし酒やつまみがうまいかは別だ。視覚に酔うのと味覚に酔うのは別の行為だ。だが、まずいものを食わされても自由に酔える懐の深さがこの街にはある。(危険もあるが)

人生意を得なばすべからく歓びを尽くすべし
金樽をしてむなしく月に対せしむることなかれ (李白「将進酒」)

安酒を飲み、あやしげなモツ焼きを食らい、デパートの上の月を見て家に帰る。

庶民だからといって人生に意を得ていないわけではない。いや、庶民こそ人生に意を得ていると言いたい連中がいる。それはまやかしだ。イデアを放棄すれば庶民となると言っているのと同じだ。イデアは到達できないからイデアなのである。

人生意を得なばすべからく歓びを尽くすべし

これは慨嘆ではない。

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アンジェラ・アキ「手紙 拝啓 十五の君へ」

FMで、アンジェラ・アキ「手紙 拝啓 十五の君へ」を聞いた。
未来の自分と対話する構想は新しいものではないが、しつこくない曲の構成と親しみやすい声と相俟って(この「相俟って」は嫌いな言い方だが)いい効果を出していると思う。

今の15歳は大変だな。15歳の頃、そんなに苦しんでいなかった。むしろ今の私だ。ということは、私は今の中学生レベルの精神年齢か。

15歳。あの頃を思い出すと、ずいぶんひねくれたガキだったと思う。いやひねくれたかったのかもしれない。それに引き替え周りは皆大人だった。(今でも)

かつて15歳の頃を思い出して書いたことがある。
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中学三年の春、高校受験のプレッシャーから解放された頃、授業中よく窓の外の風景を眺めた。はるかに牧ノ原の丘陵が見える澄んだ空を鳥が飛んでいる。
飛ぶ鳥は自由の象徴というか古来から歌われてきた。

 世の中をうしとつらしとおもへども
 とびたちかねつ鳥にしあらねば

自由とは束縛の対語である。freeが奴隷状態との対語であることを時に忘れるように、自由と束縛が相補関係にあることも我々はしばしば忘れる。何らの束縛が無いところに自由を求める意志は生まれない。自由の象徴とはまさにその意味である。尾崎豊が自由を求める歌を歌うときにその背後にあったのは「濁世」であり抑圧者の存在であった。

しかし、その頃、私には漠然とした期待があった。唾棄すべき地域社会、言うなれば濁世、から逃れる第一歩を踏み出す時、かつて抑圧者であった者と対等になれる時、即ち抑圧を克服する時が近づいている、と思っていたのである。

成績や進学、音楽、文学、恋愛や性などが人生の重要問題になってくる。それと時を同じくして友達が同志となるそういったことを分かち合い、競い合うのは、具体的な個人である。それを一言に凝縮すると「友情」になるのだろう。
今思うと当時の友達との関係が私にとって友情の原点であり、原風景である。
我々はそういった友情を記憶の中にとどめているから、見知らぬ他人と協働できるのではないか。
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少なくとも年齢的には大人になったが、基本的にこの頃と変わっていないと思う。ただ、どうしようもない苦悩と諦めそしていい加減さが加わった。

アンジェラ・アキ「手紙 拝啓 十五の君へ」はもちろんこの年代の子どもにだけ向けたものではない。それは聞く人が決める。そこに詩が生まれるのだ。
私は逆に15歳の自分から今の私に送られた手紙のように聞いた。

しかし、例えば「世界で一つの花」みたいな最近の歌によくあるような自己肯定にはなじめない。自分の声を信じるって、そこまで人は完成された人格か?見続ければ見えてくる?人生に意味のない事だってある。今私がやっていることなど全く無意味だと思う。無理に意味を見いだすとすればジャコウネズミの心境に共感できるくらいだろう。
そもそも未来の自分と語ること自体自己の絶対化なのではないだろうか。そこまで自分を肯定できるのなら、詩も文学も哲学も必要ないのではないだろうか。

なぜ未来の自分にしか悩みを打ち明けられないのか?
それはまあ分かるとして、それでいいのか。

他者とコミュニケーションを最初から放棄していいのか?

友達の肩で泣け。
自分だけでは何も分からない。
友達のことばを信じて歩いていけ。

人は他者との関わりの中でしか成長できない。

それがこの歌を何回か聞いた後の感想だ。

途中「きぱもりだ」と訳の分からない歌詞があった。「Keep on believing」だった。
つくづく便利な時代だ。ただで聞けるし。

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追悼 Alain Froment

最も偉大なパイプメーカーの一人Alain Froment氏の訃報に接した。

私はワイドボアとナローボアのセットを持っているが、ワイドボアは氏の手になる物だ。96年に注文し02年に届いた。たいてい数ヶ月は遅れるものだが、ちゃんと約束の月(の30日)に届いた。
画像はFroment氏のセットだ。日本で数少ないオーナーであることは自慢である。

Alain Froment氏のパイプのことを知ったのは我が国におけるイリアンパイプのパイオニアH口氏からだった。当時盛んだったパソコン通信NiftyServeのフォーラムを通じてH口さんに相談しすぐに問い合わせをし、デポジットを払った。

やや遅れて、M安さんからGeffの評判を聞いた。M安さんは「二本もってもいい。それだけの価値のある楽器だ。」と言っていた。それで97年デポジットを送金した。到着は05年だった。

二大巨匠の楽器を持っているのは世界広しといえどもそう多くはいまい。

Fromentのパイプの最大の特徴は甘い音色にある。一度モリガンズで吹いた時そばにいた女性が「いい音ね」と言っていたのを覚えている。
楽器自体はステンレスを使っているので非常にきれいだ。細部の仕上げも丁寧だ。

まだまだ多くの名器を生み出すはずであった。残念だ。

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日本産しょうゆからヒ素検出=中国

前にもあった。毒餃子の時、日本製から毒が見つかったと。
実際のところどうなのか分からないが、中国という国はこういうことをよくやる。

自分の非を認めないために、日本産に何かを混ぜて「ほら、お前のとこからも出たぞ」。

中国国内では普通のことかも知れないが、国際社会では通用しない。
あまりそういうことをやっていると、南京事件も日本の侵略もみんな中国の捏造と思われてしまう。実際ある程度はやっているだろう。

某幕僚長の「論文」などかわいいものだし、こういう状況をよく知っているからものしたものかもしれない。などと思えてくる。

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3年後消費税5%アップということは

さしあたって今内需拡大させたいってことだね。

3年後上がるぞ~。マンション買っとけ。車買っとけ・・・・

で、3年後は誰が首相やってるんだろう。ことによったら麻生がまだやってるかもしれない。それまでに内需が拡大して消費税を上げなくて済むことになったら名宰相になるとでも考えている...などということはないだろうが。

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渡辺直美はアメリカでうけるかもしれない

アメリカ人の笑いのレベルが低いから。

日本人もアメリカに追随して自らのレベルを下げている。

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