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August 2007

朝青龍は日本文化を破壊した

相撲が国技なのは、相撲がスポーツではなく神事だからだ。例えばなぜ出身地を言うのか。そこだけでも考えれば相撲の性格がわかるだろうし、高校野球がなぜ人気があるのかも分かるだろう。

相撲は様々な時代的要素を取り入れて変容してきたが、変質してはこなかった。外国人力士、例えば高見山を受け入れても日本的なディティールは保たれていた。しかし、それは古き良き記憶になってしまった。

単純に言えば、国際化とはかくの如きものである。
日本人は自分が大事にしていることは「相手」にも尊重されると思っているし、「相手」が大事にしているものは尊重する。だから、「相手」を受け入れることが国際化だと信じている。ところが「相手」は、相手を抹殺することをテーゼとして対峙してくることもあるのだ。むしろそれが「グローバル・スタンダード」だ。それは日本人同士でも同じだろう。ところが日本人は海の向こうから来るものには危機感を麻痺させる。

国際化とは自己の凝縮性を増すことである。

小錦も危なかったが、朝青龍で決定的になった。朝青龍はモンゴル相撲の仕草をした。これは明らかに相撲文化の破壊である。

私は朝青龍を非難する気も擁護する気もない。
残念ながら我々は自国の文化やアイデンティティを守ることに対して脆弱であったのだ。

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昏迷状態 ~朝青龍

朝青龍のニュースの中で「昏迷状態」と聞いてハテ?と思った。精神医学の用語なのだろう。
「昏」は「暗いこと」だから、暗闇で時分を見失っていることを言うんだろうなと思ってニュースを見ていた。辞書を引くと「迷っている状態」などとある。

相撲は本来神事であってスポーツではない。なのに外国人を入れたのはやむを得ざる事情があった。それはよく理解できる。
学校をずる休みして家で遊んでいた子供は糾弾される。それは日本人として当然だ。
しかし、それを外に向かってアピールできなかった。それも当然だ。それが日本だからだ。外国に有害な食品を輸出しておきながら開き直るどこかの国とは品格が違う。(ちなみにこれは極めて主観的だ。所詮当人が是非を決めることだから、外国人を納得させることはできても同意させることは不可能だ。もちろんそれが当たり前だ。是非などないのだ。しかし、これは個人の主体性の問題だからどうでもいいということはない。)

思ってもいなかった事態が出来しているのだろう。「混迷」するのは仕方がない。ただ、ここから何を学習するのだろうかと考えると意味のあることは何もないと思う。結局、「横綱」の言い分がまかり通ってしまうだろう。そしてそれは前例として今後適用される。一旦認めたらそれはいついかなる状況にも認められるのだ。それが日本人の考え方だ。

まあいずれにせよ、精神を病んだことにすれば何でも通ってしまう。朝青龍は前例を作ることになる。それでいいのか?

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アメリカはキリスト教国か?

律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられた女を連れて来て、イエスに言った。「この女は姦淫の現場でつかまえられた。モーセは律法の中で、石打ちにするように命じている。あなたは何と言うか。」
彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それはイエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いていた。彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言った。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
イエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。

キリスト教徒なら誰でも知っている。

アメリカはじめ連合国は石を投げた。

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A級戦犯 平和ニ対スル罪?

戦後生まれの私からしてみると戦争が一般庶民にとってどのようなものであったか、理解しようとしても「所詮お前等には分からない」と言われてしまうと、どうも戦争の話に耳を傾けたくなくなる。

客観的に見て、西欧列強と同じ事をしただけだと思うが、まずかったのは宗教が違う。キリスト教徒同士、ないしはキリスト教徒とイスラム教徒の戦いとはちょっと違う。しかも究極の唯物論者中国人が相手。赦すなんて事はない。キリスト教徒とは違う。
それから、どう考えても人種的偏見がある。原爆投下は実験だったし、最初からアメリカは日本を物の数には入れていなかったように思える。

アメリカは、先住民族を追い出して広大な土地と資源を手に入れ、アフリカから労働力をただで持ってきた。
アメリカ人はインディアンに謝罪と補償をしたか?
アメリカ人はアフリカ人に謝罪と補償をしたか?
アメリカのやったことは平和ニ対スル罪・人道ニ対スル罪そのものではないか。

イギリスも似たようなものだ。しかし、アメリカは今なお地球上のあらゆる資源を食い散らかしている。その姿は、あの「顔無し」のようだ。大量に生産し大量に捨てる。そのサイクルを止めることはできないのだ。

だから、東京裁判は○○組が××組にオトシマエを要求しているようなものだ。
被害者からすればA級戦犯だろうし、我々日本国民に対する責任だって当然ある。しかし、アメリカやイギリスはじめ植民地や奴隷制でたらふく食ってきた連中が「平和ニ対スル罪」だの「人道ニ対スル罪」などと言うのは厚顔無恥としか映らない。戦後世代の多くはそうではないか?

原爆投下は是か非か。是とするなら日本の韓国併合も是だ。歴史の解釈なんてそんなものだ。真理はない。一見「真理」に見えるのは、声がでかいからだ。

日本には歴史解釈の正鵠を射たことばがある。「勝てば官軍」

しかし、戦後世代の我々はどう教えられてきたか?アメリカを絶対善としてこなかったか?そろそろアメリカを相対化した方がいい。いやちょっと遅すぎた。

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ブルドックソースを買うぞ

子供の時、B29かなんかのおもちゃがあって、葉巻をくわえたブルドッグが書いてあった。

ものすごい嫌悪感を感じた。

スティールは企業価値を損なう乱用的買収者...ニュースを聞いてこの感覚がよみがえった。竹槍でB29に立ち向かおうとする大和撫子。

もちろんそれはちょっとずれた愛国主義だ。是も非も棚上げにしてはいけない。しかし、水戸黄門がいない現代で法を越えた正義・道徳を守るのは誰だ。

自由の国アメリカ、お手本にしてきたアメリカ。
そのアメリカのマイケル・ホンダ議員は自らの議員生命を守るために、「従軍慰安婦問題」決議案を出した。
そのアメリカは半島のチンピラに上納金を渡そうとしている。人権はどうなった?

ルールに反していなければいい?それは違う。
人間には良心がある。いつか必ずその良心が理解される。交際情勢などというちんけなものに惑わされてはいけない。その姿勢を貫くことが日本の道だ。

屈原曰く「安能以皓皓之白而蒙世俗之塵埃乎。」

昔の中国人は偉かった。それに引き替え...

ブルドックソースは、いずれにせよ、大変な状況に陥るだろう。
我々ができることはブルドックソースを買うことだ。それしかない。カラメルを焦がしたいい加減なソースをお好み焼きにかけるのはやめだ。

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みんな違ってみんないい

ここにどうしようもない矛盾があるのに気がついている人がどれだけいるだろうか。

全ての人が異なった考えを持っていてそれを全ての人が尊重しなくてはならないとしたら、「異なる考えを持つのはダメだ」という考えも尊重しなくてはならない。もしそれを否定するなら自己撞着であり、もっといえばファッショである。
ところがここに気づいていない輩が多い。

たとえば「身障者」から学ぶところがあるとすれば「健常者」からも学ぶところはあるはずだ。しかし、「身障者」のもつ体験は「健常者」には思いも付かないことがある。自己を相対化することが「身障者」から学ぶところであって、「身障者」を絶対化することが学ぶことではない。

論理が徹底的に欠如しているから気づかないのだ。相対と絶対が分かっていない。

全ての人が同じなのではない。他人の助けを必要とする人はいて、そういう人に手をさしのべるのは恩恵である施しであるのだ。ただそこに「見返り」を見るのは言いがかりだ。

例えば、駅の階段で重そうなスーツケースを持った女性がいたら、たいがいの男性は手を貸す。相手が女性だから手を貸すし、女性も普通に感謝を以て好意に浴する。

同じなのではないから、手をさしのべたい、そしてそれに感謝したいというのが人情なのだ。手をさしのべたいと思うのも感謝することができるのもともに幸福なことだ。
施されたと感じるならばそれ自体を肯定する気持ちが重要なのであって、施しの感情を否定するところに生まれるのはひがみにすぎない。

人は社会や他人との関わりにおいて自己の存在意義を確認するものだ。

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