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職業差別

中学校の時、将来は学校の教師になりたいと思った。中学校はイヤだ、優等生じゃなくちゃなれないから。高校も気が進まない、学校によって差が大きすぎるから。小学校は無理だ、体育や音楽は指導できないだろうし、あんなに多くの科目を教えるほど器用ではない。
結局、先生になるとしたら大学くらいしかなさそうだ、という結論に達した。
理由はそれだけではない。教師で周りからあれこれ言われないほどのステータスといったら大学だろう。そう思ったからでもある。

かつて近所に高校受験の塾があった。小学校5年か6年くらいからそこに入って、中には高校に行っても通う生徒もいた。優秀な生徒はほとんどそこに行った。
私も塾に行かないと不安になってきて、母がそこに頼みに行った。

おたくのような職業の家庭の子供は長続きしないからお断りする。

父は憤慨していた。しかし私はまたかと思っただけだった。

現在、入学試験の面接などで親の職業を聞くのは禁止という例が多くある。心情的には賛成だ。親の職業と本人の学力とどう関係がある?
そもそも、どんな職業に就いていようが、裏社会でもなければ関係ないではないか。

しかし、同じ職業に就いている人には似たような雰囲気がある。価値観が近いし、そこに向かう道筋が似ているからだろう。医者が医者らしく、役人が役人らしいのは、職業選択に個人の意志が占める割合が大きくなった今日、同じような価値観をもった人たちが同じ職業に就くからだろう。
昔はそうではなかった。世襲もあるが、スタートラインの違いは今以上に大きく絶対的でさえあった。
同じように、どんな環境に生まれるかも本人の意志とは別だ。
環境が個々人に与える影響は大きい。環境は人を作る。だが、教育も環境である。

件の塾は、高校受験のためののものである。与えられた問題を解く、従順で素直な生徒の方がやりやすい。物事に批判的な目を持った生徒は邪魔者である。
その塾では、掃除当番を決めていて、学校の掃除をさぼって塾の掃除にいく生徒がいた。これも、物事を疑いなく受け入れる「人格」を作るのに必要な儀式だったのだろう。

こういう塾を地域社会は受け入れていた。
上からの恩恵に頼り、従順にというよりも盲目的に上からの意向に従う人間たちの社会に。そして、当人たちにはそれに気づかない。一生。
これは何を引き替えにしたか?歴史を学べば今自分たちがやっていることと同じ前近代的なある身分制度があったのに気づくはずだ。

しかし、それはそれで幸せなことだろう。

魯迅『吶喊』自序より
かりに鉄の部屋があって、まったく窓がなく、こわすこともとてもできないとする。中には、たくさんの人たちが熟睡している。間もなく窒息してしまうだろうが、昏睡のまま死んで行くのだから、死の悲哀を感ずることはない。いま、君が大声をあげて、多少意識のある数人を叩き起こせば、この不幸な少数者に救われようのない臨終の苦しみをなめさせるわけだ、それでも彼らにすまないと思わないか?

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